自動行送りなんて使うな(2)

そもそも、行と行の間にはなぜ空いている部分が必要なのでしょうか。それはある文字の次の文字がどれなのかを知るためです。日本語の場合、文字は正方形の枠に入るようデザインされているため、文字間と行間が同じだった場合、次にどの文字を読めばいいのか分かりません。そこで行間のほうを文字間よりも広くするとあら不思議、空間の狭いほうを次の文字と認識してしまうわけです。これは生まれつきのものなのか、環境・教育によるものかは、専門家ではないので分かりませんが、とにかく近いほうの文字を次の文字だと判断するので、文章として読めるということです。ですから、行と行の間には空間が必要なのです。(ただし、2行や3行しかない場合には、空間がなくても読めることがあります。いらっとしますけどね。)

じゃあ、どれくらい空ければよいのだ、ということになるとそれは、さまざまな条件によって適正なアキ量が変わるので一概には言えないというのが私の答えです。

引き延ばしておいてこれかよ」すみません、でもそうなんです。文字の大きさ、書体、1行の長さ(文字数)、組方向、文字間隔の要素が絡まって最適な行間が決まると考えています。

でもとりあえず空いていれば読むことはできるんじゃない?」はい、そのとおり。でもこんな経験はないですか? たとえば文庫本などで、ある行を読んでいて、次の行を読もうとしているのに、また同じ行を読んでしまうこと。これが何回も続くと読むのに疲れちゃいますよね。これは行間が必要な量よりも狭いために起こる現象なのです(ちゃんとした論文や実験があるかは知りません。あくまでも持論)。ある行から次の行へと目を移動させるとき、人間の目は行と行の間をたどって、文字の流れと反対方向に進みます。読んだ行や次の行を見ているのではありません。行と行の間の空間部分をたどっているのです。従って1行の長さが短い場合には逆戻りも大したことはないのですが、1行の長さが長いと、逆戻りしている間にずれてしまうのです。

以上のことは私の経験則です。大規模なアンケートや実証実験を行ったわけではないので、私の経験が日本人全員もしくは人類共通かといわれるとごめんなさいというしかないのですが、皆さんどうですか?

てなわけで次回に続きます。「まだ引き延ばすのかよ」すみません、こんなペースでしか書けないのです。