今こそ「デバイスに依存しない」組版規則が必要と考える

2010年08月30日

先のセミナー原稿作成を通じて私が発見したものとは「行頭・行末」という表現は「行」というものが存在する前提でしか存在し得ない、行という概念がなくなっても「分離禁止」という概念は存在し続ける、ということです。
今まで文字で表現するものといえば「紙」(もしくは有限の広さを持つ面)でした。それがゆえに「ページ」という概念が存在した訳ですが、Webの登場で「ページ」の概念はなくなりました。そして1行の文字数を無限に設定できる媒体では「行」という概念もなくなります。
実際、文字が流れる電光掲示板では、行数や行間(行送り)はありませんので「行」という概念はありません。下の図のような例も「行」という概念が薄いと思います。

だから「分離禁止」はなくていいかっていうとそうではないんじゃないかって思うんです。たとえ分割されることがなくても、分割しちゃいけない、っていう思いがあるんです。もしかすると「行」以外の概念で分割されるかもしれない、そのときには禁則処理に従って分割を避ける。それが「分離禁止」の理念じゃないか、と思うわけです。
前のエントリーで提示した資料は、特に明記はしませんでしたが、これは「紙」限定の話ではありません。Webでも通用するし、「行」という概念のない表示デバイスでも通用します。いわば「デバイスに依存しない」組版規則のひとつである、と思っています。
今、電子書籍が騒がれていますけれども、電子書籍対応だけに捉われるのではなく、将来出てくるであろう新たな表示デバイスに対しても「ちゃんとした日本語組版」を実現させるためには、「デバイスに依存しない」組版規則+「デバイス別の特性に応じた」組版規則で考える必要があるのではないか、というのが私からの提言です。

なお、「ちゃんとした日本語組版」については私はまだまだ勉強不足です。ご指摘いただいた方々に感謝申し上げます。